シェルビービル訪問記録

調査報告

2024年11月1日から11月9日まで、大桑村米国姉妹都市シェルビービルを訪問しました。訪問団はホームステイをする高校生3名と随行員の3名の計6名で構成されました。随行員3名のシェルビービル訪問記録を以下の通り報告します。

Day-1 11月1日(金曜日)

日本時間(11月1日)
午前0時に大桑村役場出発
午前4時30分に羽田空港第3ターミナル到着
午前10時50分 JL10にてシカゴ O’Hare空港に向けて出発

アメリカ中央時間(日付変更線を超えたのでまだ11月1日)
午前8時13分 9時間23分の飛行の後、シカゴ O’Hare空港到着
午後1時10分 AA5737にてSpringfield空港に向けて出発
午後2時15分 Springfield空港着
Jeff Johnson市長に出迎えて頂き、車でShelbyvilleへ移動
午後4時00分(日本時間11月2日午前6時) Shelbyvilleに到着。大桑村役場を出発してからここまでで30時間、長い旅でした。

羽田空港

早朝5時前に羽田空港に到着しました。明るくなるにつれ、人が増えてきました。日本航空JL009便で定刻に羽田空港を飛び立ちました。

シカゴ オヘア空港

シカゴ・オヘア国際空港に到着後、入国審査・税関検査、荷物の再預けの後、空港到着ロビーに全員無事に出ることができました。

Springfield空港

空港でおよそ4時間過ごし、スプリングフィールド空港行きの飛行機に乗り替えました。飛行機は1席+2席で一列の小さな機材でした。スプリングフィールド空港には午後2時20分前に到着しました。

空港にはJeff Johnson市長が出迎えに来られました。ここから手配いただいた車でシェルビービルに移動しました。

シェルビービル到着

シェルビービルには午後4時に到着しました。ホームステイする生徒さんたちをホストファミリーが待っていました。集合場所はMONICAL’S PIZZAで、ここで皆で食事をしました。私たちはJohnson市長、市行政事務担当Rachel Wallaceさんと食事をしながら会話をしました。

私たちの宿泊先はThe Shelby Innで、Main St.沿いにあるホテルでした。素泊まりでチェックインカウンターがありません。必要なことは電話またはショートメッセージで連絡するシステムになっていました。

Day-2 11月2日(土曜日)

週末ということで、Johnson市長とそのお友達と土曜日を過ごさせていただきました。特にお友達のTomさんには滞在中を通じてバンやバスの運転をしていただきました。

カレッジフットボール試合観戦

Chanmappinにあるイリノイ大学にてアメリカンフットボールの試合(対ミネソタ大学)との試合を観戦する機会をいただきました。大学をコアにした、会場が一体となるコミュニティーの力強さをとても強く感じました。同様なコミュニティはシェルビービルの高校のスポーツでも見られます。スポーツを通じた地域の一体感は大桑村では見られない、すばらしいものだと感じました。

イリノイ大学はシャンペイン市(Champaign)にあります。シェルビービルからそこまでおよそ1時間半程のドライブとなります。

イリノイ大学のイメージカラーはオレンジ色です。スタジアムは全てホーム側であるイリノイ大学の応援団で埋め尽くされていました。学生、家族、地域の人々と、全体が一体となっているのが印象的でした。試合はミネソタ大学が勝利しました(ちょっと残念)。

帰りも再び赤く染まった空を眺めながらシェルビービルへと帰りました。

Day-3 11月3日(日曜日)

ダウンタウン視察

一日が始まる前に町の中心にあるフレンドシップパークを訪ねました。ここには1993年から2012年までの間に双方を訪問した人々の名前がレンガに刻まれています。大桑村最初の名前は原村長です。

ダウンタウンの街並み。

兵士・水兵記念碑があるリンカーン・パブリックスクエア(1908年築)と道路を渡ったところにあるの裁判所(1883年築)は町のシンボル的存在です。裁判所入口の左にはリンカーン(左)とソーントンの論争(1856年8月9日)を模した銅像が立っています。この町がリンカーンととても深いつながりがある事がわかります。

シェルビービル湖視察

昨年大桑村に随行者で来られたBennett夫妻、Shutt夫妻が用意してくれたボートにてシェルビービル湖を視察しました。

湖の周りには沢山のキャンプ場やロッジがあり、夏場を中心に年間300万人が訪れ、シェルビービルの経済に大きく貢献しているとのことでした。湖は広大で湖のほぼ中央ににFindlay Bridgeがあります。イリノイ州の2級国道(Secondary Road)橋では最長の橋です。

夏の時期にはシカゴからも観光客が訪れるそうです。シェルビービルは人口およそ4,500人の町ですから、そこに300万人の観光客が訪れるとなると町人口の670倍近い人数になります。住民一人あたりの経済効果は絶大だろうと想像します。地元に集客力の強い観光資源があると、住民の生活と市の財政にとってとても大きな力となることを感じました。

歓迎式典

夜にはシェルビービル湖ビジターセンターにて歓迎式典が開催されて、関係者が集まりました。ホームステイをしている高校生3名とそのホストファミリーも参加しました。

ジェフ・ジョンソン市長より村議会議長に贈り物が手渡され、村議会議長からは大桑村より持参したプレゼントを市長に贈りました。大桑村からのプレゼントは阿寺地区からみた中央アルプス風景を檜板にレーザー印刷した盾です。

ホームステイを始めた高校生3名もホストファミリーと楽しく過ごしていることを確認できたとともに、多くの市民のみなさんと交流ができ、とても有意義な式典となりました。

Day-4 11月4日(月曜日)

シェルビービル湖ダム視察

シェルビービル市最大の観光資源であるシェルビービル湖のビジターセンターを訪問しました。ここではシェルビービル湖の目的と湖を形成しているダムの構造について説明を受けました。

ダムの内部を視察させていただきました。制御室は写真撮影が許可されませんでしたが、その構造と運用方法を説明いただきました。基本的にダムのゲート制御はダム内部の制御室で行っており、リモートでの制御は行っていないとのことです。シェルビービル湖が非常に大きな人造湖であることから、その水位変化には時間を要するので制御の即時性は特に求められていないとの事でした。ダム内部には基準ポイントが幾つかあり、ダム自体の歪を監視しているとのことでした。ダムゲートの開閉は非常に小さなモーターで駆動してましたが、これも即時性が求められないことからこのような設計になっているとの事でした。

ビジターセンターの1階は事務所と展示室になっており、展示室ではシェルビービル湖周辺の動植物やシェルビービル湖の歴史等についての展示が行われていました。こどもたちの学習の場としても整備されていました。

IHIターボ・アメリカ視察

IHIターボ・アメリカを視察しました。

この工場は北米のターボ市場の40%のシェアをもっているとのことで、シェルビービル市民にとってとても重要な会社となります。

IHIターボ・アメリカは製造工程の自動化が進んでおり、以下のターボケース製造ラインはオペレータひとりで運用されていました。

加工が終わったターボケースと完成したターボ製品。この工場は鋳物製造は行っておらず、部品は外部からの調達となっているとの事でした。

マニュアル製造ラインも稼働していました。この工場は3交代制で24時間稼働しているとのことでした。

工場内は工場長Jeffrey Green氏が案内してくださいました。Green氏に製品検査工程も説明いただきました。この工程では標準不良サンプル(赤色の部材)を使って検査システムが不良品を正しく識別できることを確認したうえで検査をおこなっているとの説明を頂きました。

倉庫棟は受け入れ部品、工程投入部品、完成品の3エリアに分かれています。納品された部品は工程用のプラスチックコンテナに入れ替え、段ボールから発生するゴミ等が工程内に入らない配慮がされています。

工場内は合理化が進んでおり、社員の服装も一定のルールの範囲内で自由で、クリーン度も高い先進的な工場の印象を受けました。

Shelbyville High School(高校)視察

アメリカのHigh Schoolは日本の高校に相当しますが、4年制で日本の中学3年と高校1年から3年の計4年に対応します。

High Schoolの玄関を入ったロビーには私たちを迎えるメッセージが表示されていました。

学校建屋は玄関を中心に左右および奥に広がる、とてもすっきりとした建物です。

校長先生よりこの高校の教育方針は「大学に行かなくても豊かな暮らしが得られる教育の実践」であると伺いました。工作室には本格的な金属加工機械があり、特に溶接に力をいれている趣旨の説明をいただきました。また大型農業機械も所有しており、学校の農園での耕作作業を生徒たちが自ら行っているとのことでした。実践教育に力を入れていることがよく分かりました。

スポーツにも大変に力を入れており、廊下の両側には多くの盾やトロフィーが並んでいました。

実践教育とスポーツ活動が活発であることを一通り視察させて頂いた上で全体の印象を一言でいうと「技を身に付けるを重視している」です。市には観光やIHIターボ・アメリカのような就労機会が多くあるので、技を身に付けることで都市部に出なくても生活ができるように教育するという方針には納得しました。

図書館視察

町にはとても立派な公立図書館があります。この図書館は1902年にアンドリュー・カーネギー(カーネギー財団の創設者)の資金提供により建設されたアメリカの歴史の中でも重要な図書館の一つです。20世紀初頭、アメリカは教育普及活動が盛んで、この図書館建設も中で建設されました。

図書館内部は100年前のままで、各種の蔵書が棚に並んでいます。書籍の他に、マイクロフィルム化された歴代の地元新聞の閲覧、PC端末によるネットアクセスなどサービスが提供されています。

地下1階は幼児向け書籍に特化しており、蔵書もとても充実しています。書籍の置き方も幼児の興味を引くように、さらに容易に手に取ってみることができるよう工夫がなされいます。

幼い頃から図書館に通い、書籍に慣れ親しむよう工夫されています。このように市民の心の拠り所となるよう運用されていることがこの図書館が100年以上も続いている理由の一つだろうと理解しました。

チャタウクア・オーディトリアム視察

チャタウクア・オーディトリアム(Chautauqua Auditorium)は1903年に建築された歴史的建造物です。当時アメリカの特に田舎町では成人教育活動が盛んで、各種エンターテイメントや講演などを行う場としてアメリカ各地でチャタウクア・オーディトリアムが建設され、シェルビービルもその建築地の一つです。

チャタウクア・オーディトリアムは大きなテントを模した形となっており、その屋根構造は折り畳み傘によく似ています。言い換えれば、全体構造が整っている場合にのみ安定する構造です。写真でもわかるように部分的に改修がおこなわれていますが、バランスを崩す危険を伴う部分的な修理は容易ではないとのことでした。

チャタウクア・オーディトリアムは現在も現役で、シェルビービル市民が集う場所として数多くのイベントが開催されています。

評議会傍聴

評議会の傍聴の機会を頂きました。

評議会は市役所の1階ロビーで行われます。ステージには市長、評議員、行政事務担当が着席するテーブルが設置されています。

座席とメンバー名
Mayor(市長): Jeff Johnson(中央)
Commissoner(評議員): Brent Shull, Wayne Gray, Jack Kiley, Faron Blackwell(左から)
City Clerk(行政事務担当): Rachel A. Wallace(Mayorの左隣)

市政事務担当は市政全般を取り扱います。評議会では議事進行を行い、市民からの要望事項ごとに評議員の賛否を集計します。市民は市長らが座るステージに向かって座ります。要望事項を提出した市民は市政事務担当の進行に従い、自ら提出した要望事項を説明します。その後、必要に応じて評議員の意見が述べられ評決(ロールコールと呼ぶ)が行われ、要望事項に対する市としての対応を多数決で決定します。これを提出された要望事項ごとに繰り返します。

壁には歴代の市長の写真が飾られています。最下段右が現在の市長Jeff Johnson氏の写真です。サイドボードには大桑村から送られた記念品が飾られていました。

シェルビービル市の評議会を知る、とても貴重な時間を頂くことが出来ました。

Day-5 11月5日(火曜日)

イリノイ州の州都スプリングフィールドははリンカーンゆかりの地です。リンカーンを知る事はシェルビービルの歴史と市民の価値観を知ることでもあります。この地域一帯を代表する人物としてのリンカーンの足跡を訪ねてスプリングフィールドを視察しました

Lincoln Home(リンカーンの住まい)視察

リンカーンの住まいが展示されているNational Historic Site(国立史跡)を視察しました。

リンカーンの住まいは当時のまま保存されていました。リンカーンは1844年から1861年まで、この家で暮らしていました。リンカーンがこの家を離れてから160年以上の保存されてきたことから、市民のリンカーンに対する絶え間ない敬意を強く感じました。

Lincoln Tomb(リンカーン墓地)視察

リンカーン墓地を訪ねました。リンカーンの墓地は立派な塔の下にあります。入り口の前方には顔の銅像があり、鼻をこするとご利益があるということで、鼻だけがピカピカに光っています。

塔の下の建物の中にはリンカーンの銅像と墓石が収められています。

なお、アメリカでも火葬が主流になっているという事です。理由はコストで、火葬の方が遥かに安くできるとの事でした。一般の墓地の敷地は市役所に申請して購入できるとの事でした。

Lincoln博物館視察

リンカーンの生い立ち、活動、その時代背景などを知る事ができるリンカーン博物館を訪ねました。

この博物館ではリンカーンの生い立ち、大統領までの道、南北戦争などの時代背景を学ぶことが出来ます。特に奴隷解放についてはリンカーン・ダグラス論争を経て実現に至ったことが分かります。奴隷解放には多くの利害関係が衝突し、南北戦争に突入にし非常に沢山の戦死者を出したことなど、アメリカ国内の混乱と統一への道を知る事ができました。

このような苦難の時代を戦い抜いて奴隷解放を行い大統領となったリンカーンを称えるシェルビービルの市民の、私たちを迎え入れてくれる心の広さの理由が分かったような気がしました。

Day-6 11月6日(水曜日)

Moulton Middle School(ミドルスクール)視察

Moulton Middle SchoolにてSTEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)教育を視察しました。

米国では一般的にミドルスクールは日本の中学校に相当する3年制で、日本の小学校6年、中学1年、中学2年の生徒が対象とのことですが、ShelbyvilleのMoulton Middle Schoolは5年制で日本の小学校4年から中学2年までが対象となります。

校舎内はとてもすっきり整理されており清潔感あり、テーマカラーである紫色でデコレーションされています。

高校と同様にスポーツが盛んで廊下には沢山の盾が飾られています。児童・生徒たちの日々のスポーツ活動の成果で、学校教育のなかでの児童・生徒たちに目標を持たせる教育を行っている成果でもあると感じました。

今回視察したSTEM教育では学年ごとにヨット、ジェットコースター、着陸船、気球とテーマを決めて、工作と実験を通して、目標を達成するにはどうすればよいかを考える教育が行われていました。座学だけではなく、実際に試してみることで興味を喚起するとともに、グループメンバーで協力して目標を達成することで児童・生徒の自主性、主体性、協調性を重視しているように感じました。

とにかく児童・生徒数が多く、教室内もとても活気がありました。なによりも私たちが突然教室を訪れても笑顔で迎えてくれたことに児童・生徒たちのリラックスした雰囲気を感じ、自主性と主体性が軸の教育がもたらす効果かもしれないと思いました。

Sunken GardenとForest Park視察

シェルビービル市民の憩いの場であるSunken Gardenを視察しました。ここは元々は水泳場だったのですが、新しい水泳プールが出来てからゴミ溜めになってしまっていたそうです。森林公園の美化活動の中でこの場所も生まれ変わりました。今では多くのボランティアの活動によって美しい花々が咲く公園となり、結婚式も数多く行われるようになりました。

Sunken GardenはForest Park(森林公園)の北東角にあります。森林公園にはチャタウクア・オーディトリアムや市営プールがあります。また、森林公園にはGeneral Dacey Trail(デイシー将軍トレイル)の入り口があります。このトレイルには、散歩、クロスカントリー、マウンテンバイクなどが楽しめるコースが整備されています。

11月に入って秋も深まり、General Dacey Trailは紅葉に包まれていました。この時期ウィークデイの午後は殆ど人がいませんでしたが、そのような中でも一人で散歩されている方とも何度かすれ違い、この町の治安の良さを感じました。

ボランティアが活動できる場所、散歩やスポーツが楽しめる場所、そういった市民生活を豊かにする場所に予算が使われている事を理解しました。

Day-7 11月7日(木曜日)

シェルビービル出発

最終日は7時30分にホテルを出発し、市役所で高校生らと合流し、シャンペイン市にあるウィラード空港に向かいました。この空港は小規模な空港で、シカゴ行きは一便しかありませんでした。ここから午前11時22分発のAA6072便でシカゴに向かいました。

シカゴ到着

シカゴ到着には昼12時過ぎに到着しました。

Day-8 11月8日(金曜日)

羽田に向けて帰路

翌日10時20分発のJL009便で羽田空港に向けて帰路につきました。

およそ12時間のフライトの後、11月9日午後3時前に羽田空港に到着しました。

午後3時15分にジャンボタクシーに乗り込み、中央自動車道を通って5時間後の午後8時15分に大桑村役場に到着しました。とにかく全員が体調を崩すことなく元気に大桑村に戻ってこれたことが何よりです。

シェルビービル市長をはじめ多くの方々の暖かい心に触れるとともに、その背景にあるものを学ぶことができた貴重な視察となりました。

お疲れさまでした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました